罰の使用

近年、体罰を使ったしつけや恐怖心を与える関わり方が不適切であるという知見が広まってきており、メディアやSNSを通じて多くの子育て世代にその情報が行き渡るようになってきました。

こういったしつけがなぜダメか分かりますか?

今回は罰を使うことの問題点について紹介します。

 


そもそも罰ってなに?

罰というのは、刺激を与えたり取り上げることで行動を減らす行動コントロールの仕方のことを言います。つまり、痛みや恐怖を与えたり、本人にとって必要なものを取り上げることで問題行動を減らすということです。

(ちなみに、もう一つの行動コントロールの方法は強化と呼ばれ、本人にとってのご褒美を与えたり嫌なものを取り除くことで目的の行動を増やしていくことです。)

罰の使用については様々な議論がありますが、副作用が大きすぎるため一般的には使うことが望ましくないとされています。

 


罰の副作用ってなに?

罰は長期的にみるとデメリットが多くあります。

①罰を与える大人との関係が悪化しやすい

以前も書きましたが、親子関係の基盤は居心地の良い関係性を作ることです。親との関係が悪化すると、様々な問題につながる恐れがあります。

②適切な行動が学習できない

罰だけでは、今の行動をやめて代わりにどのような行動をとればいいのかが分かりません。例えば「動かないで!」と言うよりも、「両手を足につけましょう」と言う方が効果的に指示に従わせられます。代わりにどんな行動をするべきかイメージがつきやすいからです。このように、罰のみでは適切な行動を促しにくいとされています。

③罰を避けるようになる

罰による行動コントロールが続くと、子どもの行動は罰を避けることを目的とするようになります。その結果、行動が消極的になったり感情の表出ができなくなったりと様々な問題につながります。また、罰を避けるために自分のやってしまったことを隠したり嘘をつくようになることも多く、親が子どもの行動を把握しにくくなることもあります。嘘をつくことが親の逆鱗に触れてしまい、親子関係が悪循環になってしまうことも少なくありません。

④罰がエスカレートする可能性

罰には慣れが生じます、例えば、初めはおしりぺんぺんで走り回るという行動をやめさせられていたとしても、徐々に子どもがその痛みや恐怖に慣れることでおしりぺんぺんでは制御不能になるということです。親は走り回るのをやめさせるために次第に痛みや恐怖の強度を上げていくことになります。これが虐待がエスカレートしていくメカニズムです。ですから、うちは少し叩いてるだけだから大丈夫、と思っていてもそこには大きすぎるリスクがあると言えます。

 

なぜ未だに罰が使われているの?

ここまで多くのデメリットが言われているにも関わらず、罰の使用は日本ではなかなか払拭されません。それは我慢を美徳とする文化背景の中で、個人レベルで自分の経験が合理化されてしまっているからだと言われています。例えば体罰を容認する人の中には「あの時の厳しい指導があったから精神的に鍛錬された」と言う人がいます。しかし実際にはその人に与えられたのは罰だけではないかもしれません。体罰に耐えたことで他の友人や大人から褒められたり認められたりすることで、知らず知らずのうちに様々な要因が本人を強化していることがあります。個人の経験には本当にたくさんの要因が絡まっているので、自分の経験を他の人にも当てはめるのは非常に危険です。その経験はその人にとっては真実であっても、他の人にとってはそうでないかもしれないのです。

また、罰は長期的に見るとこれだけのデメリットがありますが、問題行動をやめさせるということだけに焦点を当てた場合には即効性が高く、「罰を使って子供の行動が改善された」と大人が思い込みやすいとも言われています。

 

 

ポイントは、少しでもリスクのある方法(罰)はなるべく避け、確実で安全な方法をたくさん使っていこうということです。

確実で安全な方法とは、初めに紹介した強化のことです。つまり行動を制限するのではなく、適切な行動を促していくことを目的とした方法のことです。